2日前まで量子物理の基本に関わるBellの定理に取り組んでいた。その発祥の地Belfast(北アイルランド)への旅行は当面無理だが、お馴染みの幕張メッセなら行ける。ということで、本日は一転して、そこで開催の実用指向「量子コンピューティングExpo」に参加した。でも、量子コンピューティングは実用レベルにあるのか?答えは大体分かっているだが、こんなに盛り上がっている状況を肌で感じ取りたい。
■量子コンピューティングExpo 2022秋(10/26-28、幕張メッセ)
まず、会場の雰囲気をご覧いただきたい。下図のように、他のいくつかのExpoとの同時開催なのでかなりの盛況。私は、今回は「量子コンピューティング」に絞って参加した。
量子関係の出展の数はあまり多くはないが、有力な機関が目につく。下図には、東北大学とBlueqat等のスペースが大きく見える。東北大学は実際にはシグマアイという量子ベンチャである。Blueqatも、湊雄一郎氏をトップとする国内で著名な量子ベンチャ。後述するが、「量子ICTフォーラム」という産学官の量子プロジェクトもあった。凸版印刷は、いくつかの量子応用を展示していた。カナダは、D-Waveやxanaduなどで量子の先進技術国と見做されているので、カナダ大使館も応援で出展したのだと思われる。
■量子アニーリングマシンと量子コンピュータ
色々と議論はあるのだが、量子アニーリングマシンは、量子コンピュータとは区別するのが一般的になってきた。量子コンピュータの方は、実用的にはまだまだだが、量子アニーリングの方はかなり実用が進んでいる面がある。例えば、前出のシグマアイ(東北大学)+凸版印刷は、下図のような物流業務の改善を量子アニーリングで推進しているとの展示を行い、注目されたようだ。
■量子コンピュータ(ゲート型)のシミュレータ
量子物理に基づく量子コンピュータの物理的、数学的定式化ほぼ完成しているのだが、実用的な量子コンピュータ(NISQではなく、誤り耐性の実機)を作り上げるにはまだまだ課題が山積している。だが、継続的に研究開発が進められていることも強く感じられた。一方、そのような実用化には時間がかかるので、それまでに、使いやすい、高性能な量子回路シミュレータを利用する動きも見られる。
量子回路シミュレータとしては、IBMのQiskitなどがあるが、今回展示されていたIQM Quantum ComputersのQniも独自の特徴を持つ。その最大のメリットは、一切の登録手続き無しに、いきなりWebブラウザを使って、量子回路(量子ゲートの組み合わせ)をビジュアルに構成して、シミュレーション結果をすぐに得られることだ。以下の図は、配布されていた「量子コンピューティング チートシート」である。恐らく誰でも、少し勉強すれば、これを頼りに基本的な量子回路を作り実行させることができる!
また、これとは別の方向として、nvidiaが開発している量子回路シミュレータA100がある。cuQuantumやQsimというシミュレータをもち、自社の強力なGPU技術で大規模な量子ビット数を扱う量子回路のシミュレーションを大幅に高速化させるとしている。
■誤り耐性の量子コンピュータの実現はいつなのか
Googleなどから、これに関するロードマップは発表されていて、2029年にそれを実現させるとのことである。ただし、その確実性については懐疑的な見方もある。国内では、例えば日立製作所では、すでに独自のCMOS Annealingマシンを世に出しているのだが、今回は、誤り耐性量子ゲート型も開発中であり、その実現は2050年付近とする旨の展示を出していた。この展示は、「量子ICTフォーラム」のブース内で行われていた。
これらの開発見通しについては、次に述べる中村泰信氏へのインタビュー記事が大変参考になるであろう。
■理化学研究所の中村泰信氏へのインタビュー記事
中村泰信氏は、世界で初めて「超伝導量子ビット」を開発し、その制御を実現したことで知られる。現在、理化学研究所量子コンピュータ研究センター長である。中村氏へのインタビューが載った「量子ICTフォーラム通信」が配布された。8ページに渡る詳細な記事だが、その内容が実に素晴らしい。今回、小生がこの量子コンピューティングExpoに参加して得た最大の成果は、この冊子を入手したこと、とさえ言えるのである。誤解などがあるかも知れないが、小生が特に感銘を受けた部分を、独断で以下にまとめた。
Q1:Googleは量子コンピュータの実用化を2029年と発表したが、国産機の実用化は2050年とされている点についてお考えは?
A1(中村氏):「2050年まで絶対にできない」のではない。だが、よその情報に安易に引きづられる形で前倒しするのではなく能動的に判断すべきだ。研究全体の動向を見ながら、ブレークスルーを起こすことを目標として、自分たちでできることを粛々とやっていく。
Q2:国産初の挑戦として、2022年度中に64量子ビット、次の段階で144量子ビットのものを出す計画だが、なぜ、自前で作っていく必要があるのですか?
A2(中村氏):他に先んじられたら「やらない」では、逸するものが多い。日本にも非常に優れた研究者技術者が大勢いる。自分たちで取り組むからこそ、現段階では想定されていないスピンオフや新しいブレークスルーが生まれ得る。
Q3:日本は基礎研究は先行しても社会実装では他国に負けるイメージがあるのですが...
A3(中村氏):「日本は駄目」「アメリカは良い」などと単純な結論に帰結したり、弱点ばかりに目を向けて悲観する必要はない。悲観的に考えてばかりだと何も解決しない。明るい側面を見ながら地道な努力を続けたい。目先に囚われずに、きちんと分野の基礎体力をつけることだ。
Q4:量子技術に関心を持つ企業の人々、研究したいと考えている学生へ向けたメッセージをお願いしたい。
A5(中村氏):特に学生にとって、社会的インパクトが莫大かつ未知の事柄に溢れている量子技術領域は、研究対象として非常に魅力的に映ると思う。一歩をぜひ踏み出して欲しい。企業の方々は、「もうしばらくしてから考えよう」と思うかも知れない。しかし、早いうちから勉強した者勝ちと言える。わずか1年でも景色が大きく変わる可能性がある。ぜひ、目を離さないでいただきたい。
■感想
この出張の帰り際に、久しぶりに厚木有隣堂書店に立ち寄った。2階のIT関連書棚には、AI、機械学習、Web、プログラミング関係の書籍がびっしり数千冊は陳列されている。しかし、その中に、「量子コンピュータ」関係はわずか十数冊しかなかった。だからと言って、大学の情報技術関係者が、「まだいいだろう。もしばらく放っておこう」では寂しい。上記の中村氏の言葉通りである。大学であれば、行き先不透明であろうとも、未だ底知れぬ可能性を秘めた量子情報の分野へ踏み込む人が増えることを期待したい。