末尾に、【注1】【注2】を追記しました。
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■AIのおけるフレーム問題など
AI(人工知能)における「フレーム問題」は重要な未解決問題のひとつと言われている。この問題は、WikiPedia[1]によれば、「有限の情報処理能力しかないロボットには、現実に起こりうる問題全てに対処することができない」という問題だという。参考文献[2]等にも簡単な例をあげた解説がある。
しかし、小生にはよく分からない。「知らないことはできないわけだから、知っている条件それぞれについて適切な処理を行い、知らない条件の場合は何もしないか、デフォルトの処理を行う。」これしかできないのではなかろうか。でも、これだけ話題になっているということは、もっと深遠な哲学的な難問であり、小生には素養がないだけのことかも知れない。それを少しでも補うつもりもあって、今回、下記のシンポジウムに参加した。
■国立国語研究所 NINJALシンポジウム(対面+Webで開催)
「言語コミュニケーションの多様性」2020年10月3日
(1) 配慮の表現・行動から見るコミュニケーションの諸相(主に国語研の研究者による)
(2) 基調講演「AIと対話」(中島秀之 札幌市立大学学長)
新型コロナウィルスの影響で、ここでの研究集会等も、長らく全てWeb開催であったが、今回、人数限定の現地対面での開催となった。なお、オンラインでも同時開催しており、質問などは、zoomを介して開場で流されていた。
講演のうち、(1)では5件の研究発表があった。これらは、「対人配慮」という、相手に対する心的・社会的距離のとりいれ方がコミュニケーションにおいてどのように影響しているか、また、その歴史的経過も踏まえて深く入り込んだものであり、たいへん勉強になった。
基調講演が本記事の対象である。著名なAI学者である中島秀之氏によるものであり、「TensorFlow (keras)による深層学習実践」といった技術論とは全く別の観点からの、「人工知能の根源を考える」といった趣のお話であった。
(a) 知能と常識
「知能」とは、「情報が不足した状況で、適切に判断して処理できる能力」のこと。「常識」は、人間が身体をもってこれまでの生活体験をとおして獲得したものである。ロボットにはそれはできない。できたように見えても、それは人間の常識とはちがうものになっているはず。
(b) 状況依存視点のちがい
端的に言うと、英語は「鳥の視点」、すなわち外から(上から)の視点に立つ場合が多い。逆に日本語は「虫の視点」、すなわち内から(中から)の視点に立つ傾向がある。その面白い対比例は以下の「雪国」(川端康成著)の冒頭に現れる。
【和文原文】国境の長いトンネルを抜けると雪国であった。
【英語訳文】The train came out of the long tunnel into the snow country.
(↑著名な日本文学研究者エドワード・サイデンスデッカーによる英訳)
これを、日本語と英語をそれぞれ母国語とする人に見せて、イメージを描いてもらうと下図のようになるという。(この図は、当日発表スライドを見たあとで小生が描画したものである。)
参考資料
[1] フレーム問題(wikipedia)https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95%E3%83%AC%E3%83%BC%E3%83%A0%E5%95%8F%E9%A1%8C
[2] 人工知能の話題-フレーム問題(人工知能学会)
https://www.ai-gakkai.or.jp/whatsai/AItopics1.html
[3] 松野町夫:リベラル21
http://lib21.blog96.fc2.com/blog-entry-357.html
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